沿革
明治44年 | 日本製鋼所職工共済会病院附属私立産婆養成所として設立 |
大正 8年 | 日本製鋼所病院看護婦養成所設立 |
昭和26年 | 法改正により日本製鋼所病院乙種看護婦養成所と改称 |
昭和28年 | 日本製鋼所病院乙種看護婦養成所を日本製鋼所病院准看護婦養成所と改称 |
昭和39年 | 日本製鋼所病院高等看護学院として看護婦科(2年課程)を新設し2課程となる |
昭和43年 | 日本製鋼所病院准看護婦養成所並びに日本製鋼所病院高等看護学院を統合し 日本製鋼所病院看護学院看護婦科並びに准看護婦科設立 |
昭和61年 | 昭和63年3月をもって准看護婦科を廃止することを決定し、昭和62年の募集を取り止める |
昭和63年 | 日本製鋼所病院看護学院を閉校 日鋼記念看護学校看護第1学科並びに看護第2学科開校 |
平成 8年 | 専修学校専門課程に認可される |
平成 9年 | 専修学校の専門課程修了者に対し、専門士の称号が付与される |
平成15年 | 看護第2学科を閉科し、看護第1学科は看護学科となる |
平成16年 | 看護学科 1学年定員70名 |